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「吉田調書」公開 吉田氏の主張について菅氏に直撃しました。

 
 11日に公開された「吉田調書」の中で、吉田氏は、事故発生直後からの政府、とりわけ当時の首相である菅氏の対応を批判しています。
現場の指揮官の批判に対して、当の菅氏はどう応えるのか直撃しました。

吉田調書には、「アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと」、「あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか」、「馬鹿野郎と私などは言いたい」と記されていた。
吉田氏が事故発生時、首相の座にあった菅 直人氏に向けて放った痛烈な批判の言葉。
そのきっかけとなったのが、原発事故発生時5日目、早朝のことだった。
東電テレビ会議の映像の中で、立ち上がり、身ぶり手ぶりを交え何かを激しく訴えているのが、当時の菅首相。
この時、菅氏は、福島第1原発からの作業員撤退を止めるために、東電本店に自ら乗り込み、「全員撤退はあり得ない」、「命がけでやれ」などと幹部を??責(しっせき)した。
しかし、吉田氏は、調書の中で、「『撤退』みたいな言葉は、菅が言ったのか、誰が言ったのかは知りませんけれども、そんな言葉は使うわけがないですよ」と、現場は撤退など考えていなかったと真っ向から反論。
はたして、撤退をめぐる真相はどうだったのか。
事故発生4日目の3月14日午前。
福島第1原発では、1号機に続き、3号機で水素爆発が発生。
さらに2号機への注水もうまくいかず、現場の緊張も頂点に達していた。
当時、抱いていた危機感に対して、吉田氏は「どんどん炉水位が下がるわ、SR弁は開かないわ、一番死に近かったのはここだった」と述べている。
原発事故による危機的状況に対しては、当時、最前線である福島第1原発の吉田所長らと東電本店の幹部、官邸の菅首相らが連絡を取りながら、対応にあたっていた。
細田元首相補佐官は「唯一、吉田所長の方から電話があったのが、14日の夜だった。『水が入らない状況になっていて、本当に厳しい』、『これは駄目かもしれない』という電話がありました。十数分かあとに、もう一度、吉田所長から電話があって、『水が入りました』と。『これで現場は頑張れるので大丈夫だ』という話があった」と話した。
そのころ、東京の東電本店では、東電幹部の「どこかで判断しないと、すごいことになるので、避難基準の検討を進めてくださいよ」という意見に対し、「全員のサイトからの撤退は何時くらいになるんですか」などと答えるやり取りがあった。
原発からの退避についての検討が始められていた。
その夜、東電の清水正孝社長が海江田経産相へ電話。
この時、清水社長が話した内容について、当時の官邸は、原発からの全面撤退の要請だと受け止め、菅首相を交え、対応を協議した。
福山元官房副長官は「(撤退の要請は)東電の社長から言われていることですから、われわれもそこは重く受け止めて、みんなで吸い殻や空き缶を掃除して、きれいにしてから(議論を始めた)」と話した。
協議の結果、菅首相らは、原発からの撤退は認めないという結論に達し、菅首相は、清水社長を官邸に呼んで、それを伝達した。
さらに、明け方に自ら東電本店に乗り込み、「撤退したら、東電は100%つぶれる。逃げてみたって、逃げ切れないぞ」などと、居並ぶ幹部を激しく??責した。
吉田氏は、調書の中で「何か知らないですけれども、えらい怒ってらしたということです。気分悪かったことだけ覚えていますから」と述べている。
菅首相の一方的な口ぶりに加え、吉田氏が怒りを覚えたのは、現場は全面撤退など考えていなかったにもかかわらず、あたかも撤退する方針であるかのように言われたことだった。
調書の中でも、吉田氏は「それをくだらない、逃げたと言ったとか言わないとか、菅首相が言っているんですけれども、何だ馬鹿野郎というのが基本的な私のポジションで」と強く訴えている。
また、東電の清水社長も、官邸側に全面撤退を要請したとされている点について、全面的に否定している。
2012年6月、清水社長は「全員撤退というのは、そもそも基本的に私どもは、念頭にございませんで」と話している。
「『逃げろなんて、ちっとも言っていない。ばか野郎と言いたいと思う』と、直接的に菅さんを批判して、食い違いが生じているが?」
わたしは本質的な食い違いとは思っていません。つまり、わたしのところに言ってきたのは社長なんですよ。
吉田さんではないんですよ。
現場は「頑張れる」と言っていることも、わたしは知っていました。

「官邸側で(撤退と退避について)勘違いが生じていたのでは?」
清水社長が話をしたのは、海江田経産大臣やあるいは、枝野官房長官、みんな聞いてるんです。
当然、日本語の理解力のある皆さんがそういう理解をされたから、それは困るからと言って、東電の社長を呼んだんです
ですから、誤解であった、なかったというのは、これは結果論です。

「菅さんが東電を訪問している時、『態度が悪くて気分が悪かった』と」。
わたしが直接話をしていたその気持ちは、東電の社長、会長を含む幹部に話をしたんです。
しかし、吉田所長は、社長がそんなこと(撤退)を言ったということを知らないから、わたしには違和感はありません。

「吉田所長は菅さんとの一連のやり取りについて、『アホな政治家』と不信感をあらわにしているが?」
たぶん、率直な感想だったんじゃないですか。

「これだけ不信感をあらわにして、事故収束のさまたげになったのでは?」
食い違っているのは、社長と吉田所長の間。つまり東電の間の食い違いなんです。わたしとの食い違いじゃありません。

現場の指揮を執る吉田氏の不信感を招いたことについて、事故の収束に悪影響は与えていないと主張する菅氏。
一方、細野氏は、「撤退はあり得ない、ここは踏ん張るしかない」と伝えたことは、間違えていなかったとしたうえで、「吉田調書を見ていて、トータルに非常に問題だと思うのは、総指揮官である総理と、現場の指揮官である吉田所長との間に、本当の意味での信頼関係ができていなかったと」と指摘した。
築けなかった菅首相と吉田所長の信頼関係。
それは、現場が危機の真っただ中にあった、2011年3月12日の原発視察の時から始まっていたのかもしれない。
事故の翌朝、菅首相が決行した異例の原発視察。
その行動を、吉田氏は冷ややかに見ていた。
吉田調書には、「(菅首相は)何のために来るということだったんですか?」、「知りません。かなり厳しい口調で、『どういう状況になっているんだ?』と、自由発言できる雰囲気じゃない」と記されている。
政府のトップによる異例の現場視察や、感情をあらわにした激しい??責(しっせき)。
これらについて、国会の事故調査委員会は、官邸の過剰介入だと結論づけている。

「事故調の報告書で『官邸の過剰介入が弊害になった』と指摘。吉田調書でも裏づける内容になっていたと思うが?」
どういう点が裏づけられています?
ですから、わたしは、過剰介入というのは何を指しているのか、わたしには全く理解できません。
もしあったら、言ってみてください。

吉田氏の証言と交わることのない菅氏の認識。

「今は亡き吉田氏に対する、今の思いについて」
吉田さんにとって、わたしが戦友だったかどうか、それはわかりません。
しかし、わたしにとっては、吉田さんは戦友でした。
それは一方的な片思いかもしれませんが。


「吉田調書」公開 吉田氏の主張について菅氏に直... 投稿者 dengekinetwork

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